いまから10年前、2012年に出版された本書「非道に生きる」は、読書家で知られる水道橋博士が50歳の時にもっとも影響を受けたという一冊。
あらすじ、内容について
園子温 (その・しおん)
本書カバーより
映画監督。1961年愛知県生まれ。 17歳で詩人デビューし、「ジーパンをはいた朔太郎」と呼ばれ注目される。 1987年、 「男の花道」でPFFグランプリを受賞。以後、「自転車吐息」「自殺サークル」「紀子の食卓」 など旺盛に作品を制作し、世界でも高い評価を得る。 近作では「愛のむきだし」 で第59回ベルリン国際映画祭カリガリ賞、国際批評家連盟賞をダブル受賞。その後も 「冷たい熱帯魚」(第67回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門正式出品)「恋の罪」(第64回カンヌ国際映 画祭監督週間正式出品)といった暴力や性に切り込む衝撃作を続々と発表する。 東日本大震災後の世界を描いた「ヒミズ」(2012年)は大きな話題を呼び、 第68回ヴェネチア国際映画祭で主演の二人にマルチェロマストロヤンニ賞をもたらした。 同年10月には原発事故に翻弄される家族を描いた最新作「希望の国」を公開。原作小説「希望の国」(リトルモア)も刊行した。 今秋にはDVD-BOX「園子温監督初期作品集 SION SONO EARLY WORKS: BEFORE SUICIDE」も発売される。 2013年春には次回作 「地獄でなぜ悪い」の公開を予定。 いま、国内外から最も新作が期待される、まさしく日本を代表する鬼才監督である。
園監督のこれまでの人生をたどるエッセイ的な内容となっています。目次を並べてみると、おおよその概要が把握できると思います。波乱万丈、めちゃくちゃなエピソードがてんこ盛り。
第1章 映画に向かって助走した青春
イングリッド・バーグマンと結婚したかった
見えないものを露出する実験
映画の道に進むなんて思わなかった
17歳で上京して、いきなりセックスと死がつながる
学校 一の劣等生が詩では優等生
ジーパンをはいた朔太郎
飯を食うために宗教団体と左翼に入る
俺は園子温だ!!!
賞をねらって映画を撮る
「早すぎる」AVを作ってクビになる
インディペンデント映画の光と影
内容なんかどうでもいいから目立て!
晴れて「ペルリン」から「ベルリン」へ
第2章 メジャーの舞台に立つまでの闘い方
インディーズなりの闘い方がある
東京の路上をゲリラ的に占拠する東京ガガガ
無意味・無目的・無宗教の運動体
ゲリラとやらせのボーダーを超えた映画「BAD FILM」
映画は目に映るあらゆるものがライバル「うつしみ」
欲望を映画に焼きつければいい
女子高生6人の集団自殺を新宿駅で撮る「自殺サークル」
ハリウッ ドに行って映画を当てるほうが面白い
ホラー映画は激辛のカレー屋を目指せ
ハリ ウッドで学んだ映画マニュアル
純粋な変態を主人公に、純愛映画を作る「愛のむきだし」
未来の傑作より、未来につながる今が大事
役者の過去の「引き出し」を取っ払う
任せることで生まれる新しさ
第3章 映画は覚醒させるエンターテインメント
「血の関係」こそが一番強いドラマになる
特別な花ではなく、特殊な花を咲かせる
「実録もの」に臆せず踏み込む
共感を超えて当事者になりきる
覚醒させながら楽しませる映画
震災後に描いたリアルな青春「ヒミズ」
被災地を撮ることの覚悟と意義
絶望に勝ったのではなく、希望に負けた
原発というタブーに映画で切り込む――「希望の国」
想像力を羽ばたかせない
別の現実からの声を聴く
原発がなかったかもしれない世界
第4章 偉大さに追いつくようにして生きる
日本の映画が劣化する理由
海外で闘うための映画
映画のフォームをぶち壊したい
個の判断で時代を一点突破する
極端な映画で勝負する
時代に色がなければ戦略はいらない
「質より量」で勝負する
「偉大さ」に乗り遅れないようにする
自分が面白いと思うものを追求する
自分が自分の関係者であるために
「非道に生きる」の感想、所感
「非道」とは、道理・人道にはずれていることを言います。だから、非道に生きるというタイトルは、言葉の意味そのままに受け取ればとんでもない本だ。
ただ、もちろん本書では単にひとでなしになれ、と言っているわけではなく、別の意味をひそませています。
こんなの映画じゃない。『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』…… 性暴力・震災など現実に切り込む衝撃作で賛否両論を巻き起こし続け、最新作『希望の国』では日本最大のタブー、原発問題に真っ向から挑んだ鬼才映画監督・園子温(その・しおん)。社会の暗部を容赦なく明るみに出す刺激の強すぎる作家が「映画のような」壮絶な人生とともに、極端を貫いて道なき道を生き抜いた先の希望を語る。 「これからのアイデア」をコンパクトに提供するブックシリーズ第4弾。
裏表紙 本書の紹介文
裏表紙の本書の紹介文。ここに「道なき道を生き抜いた先の希望」という言葉があります。
これも非道というキーワードに掛かっているでしょう。
また、本書の最初の項目「はじめに」の項では、「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」という創作方針を掲げ、「こんなの映画じゃない」と言われる映画こそを撮るんだ、と宣言しています。
例え他の奴がマスターベーションだのナルシストだのと言ったところで、平気のへいちゃらで自分が面白いと思うものだけを追求すること。それが非道の生き方です。
非道に生きる P165~166
(略)
少しでも面白くないと自分が思うことは一切やらない。それを他人が「非道」と呼ぼうが、知ったこっちゃない。
人の道を外れてめちゃくちゃすることが目的なのではなく、あくまでも自分のやりたいことを信じて遂行するという意思の表明です。
人の眼を気にして生きてはいないか、他人の評価を得ようとしていないか、お金の誘惑に流されてはいないか。そんな外側の評価軸ではなく、自分が面白いかどうかだけで進む道を決めていく。
映画の世界で生きる園子温のように、誰もがこんなふうにして生きていける訳ではないでしょうが、比較的近い世界で生きる水道橋博士が、心を揺さぶられる気持ちは分かるような気がします。
普段は組織の論理で生きている普通の人だって、時に訪れる人生の選択の場面で、ちょっとでも思い返したい言葉ではないでしょうか。
しかし、そればっかりで人生うまくいかないもの。
園監督も四十代で四畳半のアパート暮らしと、決して華のある生活をしていたわけではないのです。傍から見れば、不器用といっていいかもしれません。
けれど状況を嘆いたところで仕方なく、四十代で成功した人はいくらでもいるんだ、と前を向きます。五十代、いや六十代、七十代だって同じでしょう。結局は、その日、その瞬間をいかに生きるか……
波乱万丈でめちゃくちゃなエピソードがたくさん出てきますが、園監督の人生の軸には必ず映画があり、子供のころからものすごい数の映画を観ています。この積み重ねが後の名作を生み出す礎となっているはずです。
でもそれは、計画的に、というより、刹那を楽しいことに捧げつづけてきた結果、なのでしょう。
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