本と雑談ラジオ第116回の課題本である「自転しながら公転する(山本文緒)」を読みました。
2021年10月にまだ58歳という若さで亡くなられた山本さん。これまでほぼ山本さんを読んでいなかったのですが、「ブルーもしくはブルー」に続いて読んでみました。
第16回中央公論文芸賞受賞、2021年本屋大賞 第5位にも選ばれた評価の高い作品です。
あらすじ、内容について
アマゾンの内容紹介より拝借。
東京で働いていた32歳の都は、親の看病のために実家に戻り、近所のモールで働き始めるが…。恋愛、家族の世話、そのうえ仕事もがんばるなんて、そんなの無理!誰もが心揺さぶられる、7年ぶりの傑作小説。
本と雑談ラジオ 枡野さんによる書評
「最後の章を読み終えたとき喉を詰まらせて泣く自分自身に驚いた。」と語る、本と雑談ラジオの枡野さんによる素敵な書評は必読。
「自転しながら公転する」の感想、所感 ※ネタバレあり
主人公の都(みやこ)と友人たち、そして恋人である貫一はアラサー。 都の同僚にはどちらかというと二十代の若い子が多く、またはアラフォーと思われる先輩。両親はいわゆる団塊の世代でしょうか。
団塊ジュニア、アラフィフ世代としては微妙にどの登場人物たちにも感情移入が難しい感じの読書となりました。
幅広い、主人公・都への評価
各所の感想でも言われていることですが、都の人となりについてはとても賛否が分かれており、素直に共感を持てる人から、強い反発を覚える人まで、その受け止め方は幅広いものとなっています。
例によって事前に本と雑談ラジオを聞いていたのですが、古泉さんによる、本と雑談ラジオ史上最高レベルの罵詈雑言が主人公にさく裂しており、あらかじめ心に予防線を張っていたおかげで、その点については比較的寛容な態度で本書と向き合えました。
しかし、それでも途中で読むのをやめようかと思ったほど、個人的には、興味の持続が難しい読書でした。
その理由としては、都の考え方もさることながら、取り上げられる題材の卑近さとでもいうのでしょうか。仕事の愚痴。彼氏の愚痴。自信のなさ。他人との比較。将来への不安……
普遍的といえばそうなのかもしれないし、リアリティは確かにあるのですけれど、地方都市に住むアラサーショップ店員のリアルな日常など、正直、読んでいてそれほど面白いと思えるものではなかったのです……
結局は、都より親のほうに近い年代ということか…
多少なりとも共感できた点をあげるとすると、病気をして人生設計を考え直した両親の話。
母親は更年期障害(といってもうつ症状を伴うような重度の)、父親は癌を切除。二人して病気をしてしまうことで無理して組んだ家のローンがこれからの人生にとって重荷となり、あらゆる面で節約、断捨離をおこなうなど、生活基盤をダウンサイズしていくというエピソードです。
この作業に対して、今までお金のことは父親に任せきりだった母親が、むしろ前向きにいろいろ取り組んでいる姿が、救いとなっています。
せちがらいストーリーが続く
とはいえ、それにしたってせちがらい話には違いありません。
ごく一般的な会社員家庭である夫婦の「死に方問題」については、アラフィフ世代にしてみても、遠くない未来のことのように感じられます。とにかくお金がないことは不安の元凶で、自らの死に様を描くことすらままならない。
このように本書では、都も両親もお金というもの振り回されて、契約社員がどうの社員がどうの、持ち家だ賃貸だ引っ越しだと、そんなことに右往左往する人生っていったいなんなのだろうか、と頭では理解しつつも、お隣さんや同僚や親戚たちの目を気にして、結局のところお金のことであくせくしてしまうという……
言うなれば、この国のせちがらい現状を目いっぱい詰め込んだ、目をそむけたくなるような惨状をチマチマともネチネチとも言いたくなるような巧みな筆致で描いているわけですから、そりゃ途中で本を閉じたくもなるというものです。
救いの、プロローグとエピローグ
ともあれ、最後まで読み終わってまずしたことは、冒頭数ページのプロローグの再読です。
プロローグとエピローグに書かれている結婚式の描写が、最後まで読むと、都の娘の結婚式だということが分かる仕掛けになっているのです。
都の娘は結婚してベトナムで暮らすことを決めたのですが、彼女の回想を抜粋します。
ここで暮らせたら、という思いが湧き上がった。
お洒落なんかしないで、化粧なんかしないで、こういうところで働いて、こういうものを食べて日々暮らしたい。
生まれ育った国の、ちょっとでもしくじったら揚げ足をとってくる、顔だけは笑っている狭量な人々に囲まれて生活する感じ。そうやって生きることを何故か疑問にも思わなかった。
プロローグ P8
山本さんが意識的に、憂鬱な本編を描いたということが分かる一節です。
これは誰の結婚式なんだろうか、というちょっとした仕掛けにとどまらず、長い本編で描かれた憂鬱な世界を飛び出せば、そこにはいくらでも広い世界があるということこそが本当に伝えたかったことだと示唆しています。
娘の結婚式は二〇四二年、およそ二十年後に設定されており、まさに未来ある若者たちへ、山本さんからのメッセージが込められているのだと感じました。
そして、改めてプロローグ、エピローグを読み直すと、父親(貫一)と娘が、都という人間をちょっと困った母さんとして捉えてることも分かり、都の行動に少なからずイラっとさせられた読者としては、そこもまた溜飲を下げてくれるポイントです。
プロローグとエピローグについては、是非もある
インタビューで山本さんはこう語っています。
「連載時からプロローグとエピローグのプロットは決まっていて、単行本にする際につけ加えるべきかどうか悩みました。ただ、『なぎさ』を出した時に、この先が知りたかったという声がたくさんあったんです。エンタメ小説としてはきちんと結末を見せたほうがいいのだろうと反省し、足すことにしました。でも今でも蛇足ではなかったかと不安なんです」
小説丸 著者インタビュー 山本文緒さん『自転しながら公転する』
中央公論文芸賞の選考会では、不要論が大半だったそうです。
そしてまるでトリックのような、冒頭とラストのシーン。これについては選考会でさまざまな議論があり、「いれない方がよかったのではないか」 という意見が大半でした。実は私もそう思っていました。
中央公論文芸賞『自転しながら公転する』 林真理子氏による講評PDF
個人的には、プロローグとエピローグのおかげで、イライラしっぱなしの読書体験がずいぶんと豊かなものになったと感じていて、断然あってよかった派です。
もちろん、 プロローグとエピローグなしでは山本さんの意図がきちんと汲めなかったという読解力の問題ともいえますが、これらがあることによって、より多くの読者に「あなたは何にそんなに汲々としているんですか」といったメッセージと、生き方を見つめなおすきっかけを与えてくれていると思うのです。
本当に素敵な作品を遺してくださいました。
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