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息子と狩猟に/服部文祥 読者の生ぬるいモラルを打ちのめし、解体する一冊

読書感想
「息子と狩猟に」感想

服部文祥の「息子と狩猟に」を読みました。服部作品を読むのは、この本が初めて。
第31回三島由紀夫賞候補にもなっています。

だけど、服部文祥という人の存在は前から知っていました。
というより、かなり興味を持っていました。

というのも、小6くらいで初めてこづかいで買った文庫が冒険家・植村直巳の本でした。その後、数々の植村の冒険記を読み漁ったことで、冒険家であったり登山家的なジャンルの人にある種の憧れと尊敬が自然に生じてしまうという体質になってしまったのです。

とにもかくにも、とても楽しみにして手にした一冊がこの「息子と狩猟に」です。

服部文祥とは

服部 文祥(はっとり ぶんしょう、旧姓・村田、1969年 – )は、日本の登山家、著述家。神奈川県横浜市出身[1]。1994年、東京都立大学 (1949-2011)フランス文学科卒業[1]。山岳雑誌『岳人』の編集部員[1]。

「山に対してフェアでありたい」という考えから、[要出典]「サバイバル登山」と自ら名付けた登山を実践する。サバイバル登山とは、食料を現地調達し、装備を極力廃したスタイルの登山を指している

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%96%87%E7%A5%A5

作品に触れる前に人物を紹介することが正解かどうかわかりませんが、YouTubeで服部文祥を見ることのできる動画をいくつか紹介します。

服部文祥「栗城くんは登山家として3.5流」
『服部文祥』情熱大陸 ①
源流を極め、“歩むために釣る” 登山家・服部文祥(前編)

人によって(もしかしたら特に男女によって)、けっこう受け止めに違いがあるんだろうなと想像します。食べ物で言えば癖が強い食べ物。

自分では釣りも登山も、まして狩猟などはやらないのですが、なにか自分のなかにある冒険心を刺激されるのです。

それでいてフランス文学専攻という変わり種。三島賞の候補になっていることからもわかる通り、文章は読みやすくて美しいです。

倉内も子供の頃、星座にはなんの興味もなかった。手に入らないものはどうでもよかった。

「息子と狩猟に」48ベージ

あらすじ

平日仕事をしながら趣味で狩猟をしている倉内は、大きくなってきた小学生の息子を、初めての狩猟に連れていくことに。ときに熊に気を付けながら、ときに鹿に気づかれぬよう気配を消して、道なき道を歩く。

一方、振り込み詐欺集団のリーダーである加藤たちも、表沙汰にできない理由で山に。

通常の世界では出会うことのなかった二組の、緊迫した接近。

それは、社会のルールでも悪党のルールでもなければ、まして安直な小説のルールなどでもなく。物語は、山では山の掟が優先さるという、服部にしか導きえない方向へ展開していく。

息子と狩猟に 服部文祥

感想

息子と狩猟に」は小説という体裁ではありますが、服部文祥が書いているというだけで、普通の小説として読むことがなかなか難しい。

主人公が山に分け入り、銃で鹿を仕留め、獲物を手際よく解体するシーンは服部文祥そのものにしか思えないのです。あえて言えば半私小説。

物語は、主人公・倉内と息子の山行の様子と、振り込み詐欺グループである加藤たちの顛末を、交互に繰り返しながら進んでいきます。

こういった二つの別の話を平行に描く構成は珍しくはありませんが、なにせ狩猟と詐欺。どちらの話にも異様な緊張感が張り詰めています。

一見ぜんぜん違うベクトルの話に思えるのだけど、社会のはみ出し者たちが、生き抜く術として老人たちの貯えを「狩っていく」という点においては、どちらも「ハンター」を描いているといえます。

狩猟にたいしての逡巡

獲物を狩るのは面白い。そこにはたしかな興奮と喜びがある。
(略)
いま、目の前にある大きな肉の塊は、その存在が過ごしてきた時間とこれから過ごすはずだった時間の塊だ。
(略)
己の生をただ生きているケモノに、なぜ、自分は圧倒的な暴力で介入することが許されるのか。

「息子と狩猟に」64ページ

狩猟は法律で認められている行為です。
銃の所持にも免許が必要だし、害獣であったり、人に危害を加える可能性のある獣を撃つことが、許可されています。

倉内は、しかしその狩猟という行為が自らを興奮させるアクティビティであることを潔く認めます。そして、目の前で命を絶った獣と向き合います。


狩猟も冒険も、とかく不要不急であり、生存のためにそれほど必要なものではないと考える人もいるでしょう。なかには登山や冒険に対して、わざわざ自分の命を縮める愚かな行為、と思っている人もいるのではないでしょうか。

スーパーに捨てるほど食物があり、交通網の整備された現代社会のルールにおいては、理にかなった考え方なのかもしれません。

しかし、獣を狩ること、道なき道を切り開くことは、人間としての原始的な喜びだった時代があるはずです。ある種の人の中には、この喜びの回路が連綿と受け継がれているのだと思うのです。

自らの欲求と、目の前で失われた命に真摯に向き合うこと。
それこそが生きることそのものだった時代。

現代の生活は、見たくないものが見えなくなっているだけなのではないか。

野蛮だと一蹴するのは簡単ですが、むしろ現代社会は、山のルールに見習うべきところが大いにあるようにさえ思われるのです。

バレなきゃいい

「だから、ケモノを撃ち殺すと考えてしまう。バカな人間でも撃ち殺したら警察に捕まる。賢くてもケモノなら捕まらない。なんでだ?」
(略)
「引き金を引くのは自由だ。それが自然のルール。でも警察に捕まる、それは人間のルール」
「じゃあダメじゃん」
「バレなきゃいい」

「息子と狩猟に」73ページ

夜を迎えた山で、息子と焚火を囲んでの会話。
「ケモノは人間が思うほどバカじゃない。」そう倉内が息子に説明したあとの会話です。

「バレなきゃいい」という言い切りにハッとさせられます。
息子を前にしても、綺麗ごとを言うことはしません。

人間が決めた法なんてたかだか数百年、いわゆる近代的な法律にいたっては百年かそこらしか運用されてない、その程度のもの。山では山の掟が優先される。その思いが、倉内にそう言わしめているのでしょう。

もちろん、山の掟を現代生活にそのまま当てはめたら、危険です。

しかし、小学生だって父親が思うほどバカじゃない。

「学校で自慢できるな」
「言わないよ」
「なんで?」
「シカを殺して食べてるなんて言ったらドン引きだよ」

「息子と狩猟に」71ページ

山で生きることと、現代社会で生きるということがこれまでになく乖離しています。

野蛮なものから目を背けるのでなく、まして人間社会のルールを軽んじるのではなく、その距離感を感じることが重要だと倉内と息子の会話から教えられます。

服部文祥の世界をのぞいてみよう

狩猟と詐欺をモチーフにした本書には、生々しい暴力シーンや獣の解体シーンなども多いが、なにより読者の生ぬるいモラルが打ちのめされ、解体されます。

人間が住む法で定められた社会と、狩猟の行われる山の掟の世界。この境界に生きているのが倉内であり、服部文祥です。時に子供のように獣をおいかけ、時に哲学者のようにじっと動かず黙考しながら。

野蛮さに恐れるのも人間の本能でしょう。しかしたまには野蛮の定義をちょっとばかり巻き戻して、服部の描く山の豊かな世界にどっぷり触れてみてはいかがでしょうか。老若男女すべての人におすすめします。

息子と狩猟に 服部文祥

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