江戸時代の東海道神奈川宿を描写した絵図「金川砂子」にも描かれている滝の川という川が近所にあります。
この川を渡るために滝ノ橋が掛けられており、川を挟んだ両側には神奈川本陣、青木本陣が置かれる重要な場所でもありました。
滝の川には支流があって、反町川とも呼ばれており、現在は滝の川とともに暗渠化されています。
その一部は松本コミュニティ道路、三ツ沢せせらぎ緑道として整備され、とても気持ちの良い散歩コースになっています。
今回、これらの道を含む反町川を遡るルートを歩いてみました。
滝ノ橋から400メートルほど上流にいくと境橋があります。ここが反町川との合流地点。
左側が反町川、右側が滝の川の本流です。
合流地点から、国道一号を渡ったところにある境橋の欄干と親柱。「昭和二年九月 復興局建造」とあります。
1923年9月1日に発生した大正関東地震、いわゆる関東大震災の復興事業として建造されたことがわかります。
滝の川、反町川ともに、この地点から暗渠となります。
反町公園と横浜銀行アイスアリーナの境の小道。下に反町川。
暗渠は、神奈川区役所と反町公園の間の歩道へと続きます。中央分離帯と歩道を兼ねたような作りが面白い道路です。
国道一号線を横切ると、赤茶色の舗装がされた広場のように。
地下化される前の東横線を利用して作られた東横フラワー緑道を過ぎると、反町川は丘陵につきあたり急激に西へ曲がります。
ここから松本コミュニティ道路。
暗渠は松本コミュニティ道路として続きます。(実際は、脇の歩道か?)
途中、宝玉稲荷大明神の看板があったのでお参り。
「江戸末期の頃、滝の川の洪水によって上流から流れついた御神体を」と、由緒にもここが滝の川(反町川)であったことが記されています。
道は続きます。
神奈川区マスコットキャラクターかめ太郎の道路サインは、神奈川区制90周年記念事業の一つとして設置されたもののようです。
しばらく行くと、愛染地蔵尊。手を合わせます。
ここには戦後に石仏が漂着したそうです。
ガーデン橋。今は親柱が1本だけ残されています。
擬宝珠に寛永四年(1627年)と見えますが、全ての文が読めるわけではないので内容は把握できません。
ガーデン橋からさらに上流へ。
延命地蔵尊が祀られています。
徳川第五代将軍綱吉のころ、延宝八年(西暦一六八十年)に村の有志により建てられ、変わらず当地にあるのだそう。
ここは武蔵国橘樹郡三ツ沢村の東口にあたる場所で、村を守る意味もあったとのこと。
現在の区画でも、松本町と三ツ沢下町の境界になっています。
暗渠はこのあと再び国道一号へ。
ここには反町川を渡るため、島田橋がかけられていました。
道路に埋め込まれたサイン、交差点の名前にその名残が残されています。
ここまでを前半、松本コミュニティ道路編とさせていただきます。
暗渠化されているとはいえ、反町川の流れに沿ったと思われるカーブを多く残す興味深い道となっています。
お稲荷さんやお地蔵さんなど、素朴ながらも昔からの営みを感じられる痕跡があるのも、とても味わいがあります。
今回歩いた、境橋付近(反町公園)から島田橋までのルートとなります。
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