2003年刊行の角田光代さんの小説「愛がなんだ」を読みました。2018年には映画化もされています。
角川文庫がこの夏にやっていたカドフェス2020の対象となっており、本屋でふと手に取ってみたものですが、本と雑談ラジオをやっている枡野さんの、枡野書店映画部という企画でも取り上げられており、タイトルだけは頭の片隅に残っていました。
あらすじ(ネタバレ)
主人公のテルコは、飲み会で知り合ったマモちゃんに片思いをしている。
どんなに遅い時間でも電話があればすぐに駆け付け、マモちゃんの身勝手で面倒な用事も快く引き受ける。
時に、なんとなく恋人っぽくなる期間も発生するのだけど、マモちゃんの機嫌をそこねたとたん「もう、家に帰って」と言われるような関係だ。
マモちゃんの都合に合わせるためには、あらゆることは後回し。
仕事中でも電話に出るし、誘われればすぐに早退。そんな状態だから会社はクビに。
テルコはしばらく無職生活を経たのち、マモちゃんの都合に合わせやすいスーパー銭湯で働き始める。
それなのに、マモちゃんにはお気に入りの人、すみれさんが現れる。
テルコは、マモちゃんの恋の相談にまで乗り、マモちゃんがすみれさんと仲良くなる計画に、悩みながらも協力していく。マモちゃんに恋人ができることより、一生マモちゃんに会えないほうが嫌だから――
感想(ネタバレ)
角田光代さんの小説をたくさん読んでいる訳ではないけれど、なんとなく、大人の恋愛だったり社会問題みたいなテーマを扱うイメージだったので、「愛がなんだ」には新鮮なおどろきがありました。
調べてみると、「愛がなんだ」が刊行された2003年は角田さんが35、6歳ころ。当たり前ですが、時代とともにテーマや書く内容は変わるものでしょう。
登場人物たちの使っている携帯電話がスマホじゃなかったり、やたらと居酒屋でタバコを吸っていたり、随所に時代を感じる場面もありますが、たまにこうして時の流れを懐かしみながら読書をするのも悪くないものです。
共感はできない
正直いって、主人公テルコの気持ちに共感できる、ということはありません。
恋愛だから人それぞれだし、出会いも偶然の要素はあるでしょうけれど、テルコのマモちゃんに対する想いは一途という範疇をこえ、もはや依存症に近いんじゃないでしょうか。
そういう意味において、依存と戦いながら、徐々に脱却していくような物語かと思いきやそうではなく、マモちゃんのそばにいるためには別の男とさえ愛を育むんだ、という本末転倒ぶりには、共感どころか恐怖すら覚えます。
それこそ、マモちゃんのためなら「好きでもない人との恋愛さえ厭わない」。本のタイトル「愛がなんだ」の意味はここにあるのかな、と個人的には解釈しました。
しかし、もはや常人の理解は超えていますよね。
読みやすいエンタメ小説
「愛がなんだ」の前に芥川賞を受賞した遠野遥の「破局」、そしてデビュー作の「改良」を読んでいました。
「愛がなんだ」を読み始めで最初に感じたのは、普通の小説ってなんて読み心地がいいんだ!ということです(笑) 「愛がなんだ」という普通の小説を読むことにより、改めて遠野遥の「普通じゃなさ」に気づいたという次第(褒めてます)。
登場人物の不思議さでいえば、テルコのほうが断然どうかしています。
しかし「常識」という視点がしっかりあったうえで登場人物の異常さが描かれている「愛がなんだ」では、どのくらい変わっている人なのかを把握しながら読むことができます。
遠野作品にはその常識という軸が外されている感じで、読んでいるとかすかに乗り物酔いでもしたかのような、心地悪さみたいなものがあるのです。もちろんその感覚こそが魅力なのですが。
ともかく、テルコもマモちゃんも変わり者であることに違いはありませんが、そういった点で、安心して物語の世界に飛び込んでいくことのできる、エンターテインメント性に優れた楽しい一冊でした。
一途な恋というと美しく語られがちですが、テルコの一途さは恋愛小説の片思い部門があったとすればかなり上位に食い込めるはず。そのくらい強烈でせつない、テルコとマモちゃんが繰り広げる恋愛物語を楽しんでみてください。
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