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沢渡(北軽井沢)にあった幻のため池

反町
丘陵から北軽井沢公園をのぞむ

以前アップした反町にあった名のない川とは、という記事にコメントをいただきました。

反町名無し川の沢渡谷(昔の表記のようです)から上流の三ツ沢ゴルフ練習場あたりは昔「溜池」だったようですが、情報はありますか? 大正時代の横浜市全図番地入りに記載ある池です。

ため池のあった場所

情報提供いただいた通り、横浜都市発展記念館のウェブサイトにある横浜地図データベースのコーナーで昔の地図を眺めてみたところ、確かにため池と思われる記載がありました。

特に、1923(大正12)年頃の震災被害図にははっきりと輪郭が記載されています。この地図と、同年発行の横浜都市計画案 牧案をじっくりと眺めて、現在の地図と重ねてみたものがこちらです。

沢渡と北軽井沢の境界にあったであろうため池の位置

赤い枠は、神奈川区沢渡の区域です。ため池のあった場所は実際には西区北軽井沢で、ちょうど西区と神奈川区の境界にもなっています。

ため池の存在は、1929(昭和4)年以降の地図には確認することができません。

おそらく震災復興のための造成によって、この頃に埋め立てられたのではないでしょうか。

そもそもこのため池は何なのか

このため池があった谷筋は北西南を丘陵に囲まれ、東にある沢渡交差点のほうへ向けて、沢の浸食によって開けた地形になっています。

このような地形を谷戸(やと)といいます。

丘陵だらけの横浜にはこのような地形が多く、市内には谷戸が3,700以上あり、そこからはこんこんと湧き水が湧いていました。

その湧き水を有効利用するため、明治初期には139もの農業用ため池があったそうです。

四国や中京地方に溜め池が多いのと同様に、湧水だけでは水量が十分ではいため、ため池に水を蓄え夏の渇水期に備えていたと考えられるのだそうです。

ここ沢渡・北軽井沢のため池も、横浜に多数あったそんなため池のうちの一つだったのではないでしょうか。

北軽井沢側から北に沢渡の丘陵をのぞむ。間が谷筋となっている。

特定非営利活動法人よこはま里山研究所NORAのウェブサイトに、谷戸に関する記事がいくつか掲載されています。

特に、第六話 谷戸の生い立ち第七話 よこはま ため池事情は興味深く読ませていただきました。

横浜市のサイトにも「谷戸のまち横浜」という、谷戸についてまとめたページが掲載されています。

谷戸にあったため池の多くは埋め立てられてしまいましたが、いまだ現存し、市民の憩いの場となっている谷戸、ため池も紹介されています。

ため池のあった場所の今

雑な画像処理で恐縮ですが、なんとなくでも、かつてここにあったため池の存在を感じられるでしょうか。

埋め立てから100年近く経とうとする現在、付近を歩いてみても、ため池の存在を思わせる直接の痕跡はありません。

しかし、反町にあった遊郭のように区画までまっさらになってしまっているわけではありません。

ため池こそ埋め立てられたものの、それこそ丘陵に守られるかのように、比較的当時からあった道がそのまま残されているのがこの場所の特徴です。

三ツ沢ゴルフセンター東側の駐車場あたりから、北軽井沢公園までの区画に、なんとなくため池の輪郭が浮かび上がってきませんか?

今は隙間なく住宅街となっているこの地区にも、かつては水が湧き、ため池があり、そこから沢が流れていた。

そんなのどかな風景を想像をするだけでも楽しいですね。

最後になりましたが、コメントをくださったフジタさん、どうもありがとうございました。

コメント

  1. フジタ マサナリ より:

    素晴らしい探査力に感服いたしました。ありがとうございました。

    また、
    ご指摘の沢渡交差点付近の台町公園から神奈川学園間の切通説についてはそのとおりと思いました。さすがですね!

    鶴屋町付近の旧東海道との立体交差については切通と感じておりましたが・・・。

  2. 深沢商店 より:

    こちらこそ教えていただきありがとうございました。

    翠嵐高校や、そこから沢渡を通るバス通りなんかもけっこう昔からある道なんだな、などと思いながら、久しぶりにあれこれと調べる楽しい時間を過ごしました。

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