羽田圭介といえば、「黒冷水」で史上最年少の十七歳で文芸賞を受賞した早熟な作家のイメージでしたが、本作スクラップ・アンド・ビルドで芥川賞を受賞してからはすっかりメディアで引っ張りだこに。
世間的には、時々なにか小説なぞ書いてるみたいだけど、田中要次とバスで旅をしてたり、ラジオのパーソナリティーをしている、いっぷう変わった青年といったところでしょうか。
実際のところ、自身もデビュー作の「黒冷水」以来の羽田圭介作品読書でした。
ピースの又吉と同時受賞、言わずと知れた第153回 芥川賞受賞作です。
あらすじ
東京の西にあるニュータウンで、母、祖父とともに暮らしている健斗は、数年間つとめていたカーディーラーの仕事をやめ、現在は無職。
時々は面接に出かけたり、資格に向けて勉強らしきことをしてみるが、基本的には時間を持て余す日々を過ごしている。
「じいちゃんなんて早う死んだらよか」
衰えるばかりの祖父の口ぐせ。そのつぶやきをこれまで聞き流していた健斗だが、そこまでいうなら願いを叶えてやろうじゃないか。健斗は、ある日そう唐突に思いついく。
使わない能力は衰えていく。だから何でもかんでも手助けをするのではなく、やれることは自分でやりましょう、というのが最新の介護理論。
これを逆手にとり、だったら祖父に何もさせない勢いでありとあらゆる介助を行い、どんどん能力を奪い取っていく。そして、ついには死に導こうじゃないか、というのが健斗の作戦だ。
もちろん犯罪にあたらないし、なにより一見したところでは、祖父の面倒をよくみる素晴らしい孫にしかみえない。
果たしてこの完璧な健斗の作戦はどうなるか。そして、よりしっかりと作戦を遂行するため自身の鍛錬を重ねていく健斗に訪れる変化――。
感想
内容がバレてもそこまで面白さが損なわれるタイプの小説ではないと思いますが、知らないほうが楽しめる部分もあります。
おもしろいけど、期待させすぎな仕掛け
読んでいて最初に「おっ」と思ったのは、健斗が予定より早く帰宅したときに偶然見かけてしまった祖父の様子。
暗い廊下を進みリビングのドアを開けようとした瞬間、なにか黒く小さなものがものすごい勢いでリビングから台所へ駆け抜けていくのが見えた。
「スクラップ・アンド・ビルド」96ページ
この後、普段電子レンジも使わない祖父が、冷凍ピザに野菜をトッピングしてオーブンで焼いて食事した痕跡まで見つけます。
つまり、衰弱してくばかりに見えた祖父が、実は健斗が思っているよりも元気であり、しかもそれを隠していたのです。これはおもしろそうな展開。
今まで知らなかった祖父のたくらみが次々と発覚、その全貌とは? そしてそこにはオドロキの理由が!
……みたいな展開を勝手に膨らませてしまったのですが、全然そうはなりませんでした。
読み終えてから振り返れば、健斗の親切さに甘えるため普段は祖父なりのしたたかさで老いを演じていた、ということでしょう。しかし、あまりにもフリが面白そうで勝手に期待値を上げてしまった結果、やや肩透かし感があったことは否めません。
エンタメ作品ではないので、なんでもかんでも伏線を回収しなくてもよいのでしょうが、この他にも、祖父が介護士さんにセクハラまがいの行為をするエピソードや、戦争体験の話が親戚から聞いた話と違うエピソードなどは、どう受け止めたらよいかちょっと困ってしまいました。
とはいっても、読むのがつまらないということではなく、せっせと祖父のお世話と自己鍛錬に邁進する健斗が、その目的が邪悪であることを知っているだけにユーモラスで楽しいです。
祖父のほうが一枚上手
では、この物語のなかで祖父はどういう存在だったのかを考えてみると、やはり祖父のほうが一枚上手だった、という結論に至りました。
健斗側からみれば、自分で考えた作戦をきっちり遂行するために体を鍛え、それにより結果的に心身ともに充実感を得ることができ、ついには再就職を勝ち取るという、自分の思いだけで完結したかのようなストーリーです。
祖父にとってもさすがに、健斗が自分を死なせようなどという作戦を思いつくのは想定外でしょうけれど、一緒にこの家で暮らし始めて三年。忙しそうに働いていた健斗が会社を辞めてしまい、何か月もロクな生活をしていない様子を見ていたことは間違いありません。
お世話をしてもらうためにしたたかに振る舞うという側面もありつつ、実際以上に衰えた自分を見せて健斗に介護をさせることが、結果的に健斗の自信回復につながることを期待していたのではないでしょうか。
再就職が決まり家を出ていく健斗を、見送る祖父と母。
週末暇だったら帰ってきなさいよ、という母に対して祖父はこう言います。
健斗には健斗の時間があるけん、来んでよかよ。じいちゃん、自分のことは自分でやる。
「スクラップ・アンド・ビルド」146ページ
健斗の将来を案じつつも、まるで健斗の計画を見透かしていたかのような発言。祖父による、ワシはまだまだ死なない宣言のようでもあります。
破壊と再生
老朽化して非効率な工場設備や行政機構を廃棄・廃止して、新しい生産施設・行政機構におきかえることによって、生産設備・行政機構の集中化、効率化などを実現すること。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%89
スクラップ・アンド・ビルドという言葉の受け止めかた。
小説全体としては、人間はやがて老い世代は継がれていくのだ、ということがモチーフになっています。
また、健斗の人生においても、仕事を辞めてだらけ切った時間を破壊し、新たなステージへ進むことを象徴しており、そしてその活力を得るための筋トレとは、まさに細胞レベルでの破壊と再生が必須。
この破壊と再生という考えかたが、細胞レベルだと当たり前のこととして受け入れられるのですが、やはり人間に当てはめたときに、どうしてもある種の残酷さを感じます。
自然の摂理にしたがって、淡々と受け止めればよいという見方もできるのでしょうけれど、そう単純に割り切れないのもまた人間です。
小説と現実
この本を読み始める直前、医師による難病女性の嘱託殺人事件がニュースになっていました。
若くして難病に侵されてしまうこととは意味が違うかもしれませんが、否が応でも人の手を借りなければ生きていけなくなるという点では介護生活にも通じる部分があり、どこかしら小説と現実が頭の中でリンクしてしまうような読書でした。
健斗の計画の部分を読んだときには、それこそ事件のことが頭をよぎりました。
この小説に描かれている、口では「死にたい」と言いつつも簡単に破壊されることを拒むような祖父のたくましさ、したたかさは、それが正しいと説くつもりはありませんが、このちょっと緩いスタンスというのは大事なのかもしれません。
「ごめんね、ありがとう、すんません」
自分の娘や孫に向かってたびたびこんな言葉を吐く祖父が痛々しく、こんなこと言わせる羽田圭介も性格が悪いなあと思ってしまうわけですが、実のところたくましく家族の世話になっている祖父には見習うべきところが大いにあるように思うのです。
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